【ローマ 1:19-25】目には見えなくても存在はわかる…!
■神さまは目に見えない?!
□聖書には、神さまは見えないことをはっきり言っている。
★ここがポイント
この世の中には、人の手によって目に見える『神』を作ることがよくある。そして、それを拝み、宗教ができる。旧約聖書の時代は、ネブカデネザル王が金の像を造って拝ませたり、金の子牛の像を造って、本当の神さま以外のものを『神さま』とした。今の時代でも、この世界を造った神さまに目を向けるのではなく、人の手で造った物を拝み、本当の神さまを無視してしまっているのだ。
さて、神さまは目に見えない。目に見えるものは、いつか滅びる。滅びることがない、永遠に生きておられる神さまだからこそ、目に見えないのだ。
■見たことないのにどうして神さまがいるといえるの?!
□この世界の造られた物を見た時に、神さまの存在がわかる。(ローマ1:20)
★ここがポイント
神さまのことを伝えていると、『神さまがいるなら見せて』といわれたりする。でも、聖書はその答えとして『被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない』と言っている。神さまが造ったこの世界を見たときに、言い訳できないと言っているのだ。例えば、宇宙、地球、生物、人間、細胞、遺伝子、原子etc…誰がどうみても精密にできていることがわかる。それでも、神さまがこの世界を造られた、というよりも、偶然に勝手にこの世界ができたと、人は信じてしまうのだ。そして、頼るものを、何もすることができない、いずれは壊れたり、死んでしまったりするようなものにしてしまうのだ。
クリスチャンでない人でも、クリスチャンでも、神さま以外のものを頼りにしてしまう、という弱さがある。私たちには、本当に頼りにできるすごい方がすぐそばにいることをいつも覚えていたいなぁ。
また、イエスさまは、神さまを無視する、神さま以外のものを拝む人をも愛して下さっている。私たちだけではなく、まだイエスさまを信じていない一人ひとりのためにもイエスさまは十字架にかかっていのちを捨てて下さった。ひとりでも多くの人が、イエスさまのことを信じてくれたらいいなぁ!
◆感じたこと
自分は、神さまなんている訳がないとずっと思っていた。
そのときに触れた御言葉が、この箇所だった。
でも、やはり、目に見えない、『神』という存在なんて信じる気には到底なれなかった。
あるとき、ふと、自分に感情があるという事をすごく不思議に思った。
石ころやロボットに感情なんてないけど、人間には、喜怒哀楽がある。
人を愛する、大切にしたい、っていう気持ちがあるという事に、不思議な感覚を持った。
そのときわかった。
神さまなんて信じないと言っていたけど、
自分は、『信じない』ではなくて、『信じたくない』んだって。
冷静に、神さまの存在を考えてみよう。そう思った。
今、自分は、神さまの存在、イエスさまの救いを確信しているけど、本当に救われて良かったと思う。
神さまは、全世界を創った、人間の想像にも及ばないような方であるのに、自分自身を直接見つめてくださって、導いてくださっている。愛してくださっている。本当に感謝だなぁっ。
□聖書には、神さまは見えないことをはっきり言っている。
★ここがポイント
この世の中には、人の手によって目に見える『神』を作ることがよくある。そして、それを拝み、宗教ができる。旧約聖書の時代は、ネブカデネザル王が金の像を造って拝ませたり、金の子牛の像を造って、本当の神さま以外のものを『神さま』とした。今の時代でも、この世界を造った神さまに目を向けるのではなく、人の手で造った物を拝み、本当の神さまを無視してしまっているのだ。
さて、神さまは目に見えない。目に見えるものは、いつか滅びる。滅びることがない、永遠に生きておられる神さまだからこそ、目に見えないのだ。
■見たことないのにどうして神さまがいるといえるの?!
□この世界の造られた物を見た時に、神さまの存在がわかる。(ローマ1:20)
★ここがポイント
神さまのことを伝えていると、『神さまがいるなら見せて』といわれたりする。でも、聖書はその答えとして『被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない』と言っている。神さまが造ったこの世界を見たときに、言い訳できないと言っているのだ。例えば、宇宙、地球、生物、人間、細胞、遺伝子、原子etc…誰がどうみても精密にできていることがわかる。それでも、神さまがこの世界を造られた、というよりも、偶然に勝手にこの世界ができたと、人は信じてしまうのだ。そして、頼るものを、何もすることができない、いずれは壊れたり、死んでしまったりするようなものにしてしまうのだ。
クリスチャンでない人でも、クリスチャンでも、神さま以外のものを頼りにしてしまう、という弱さがある。私たちには、本当に頼りにできるすごい方がすぐそばにいることをいつも覚えていたいなぁ。
また、イエスさまは、神さまを無視する、神さま以外のものを拝む人をも愛して下さっている。私たちだけではなく、まだイエスさまを信じていない一人ひとりのためにもイエスさまは十字架にかかっていのちを捨てて下さった。ひとりでも多くの人が、イエスさまのことを信じてくれたらいいなぁ!
◆感じたこと
自分は、神さまなんている訳がないとずっと思っていた。
そのときに触れた御言葉が、この箇所だった。
でも、やはり、目に見えない、『神』という存在なんて信じる気には到底なれなかった。
あるとき、ふと、自分に感情があるという事をすごく不思議に思った。
石ころやロボットに感情なんてないけど、人間には、喜怒哀楽がある。
人を愛する、大切にしたい、っていう気持ちがあるという事に、不思議な感覚を持った。
そのときわかった。
神さまなんて信じないと言っていたけど、
自分は、『信じない』ではなくて、『信じたくない』んだって。
冷静に、神さまの存在を考えてみよう。そう思った。
今、自分は、神さまの存在、イエスさまの救いを確信しているけど、本当に救われて良かったと思う。
神さまは、全世界を創った、人間の想像にも及ばないような方であるのに、自分自身を直接見つめてくださって、導いてくださっている。愛してくださっている。本当に感謝だなぁっ。