■神さまの裁きは免れない?
□うん。だからこそイエスさまの十字架の救いが必要なのだ。(ローマ2:2・3)
★ここがポイント
人は、自分が罪を持っているって認めるのを嫌がる。
でも、1章で見たように、人の罪は言い逃れできないのだ。あげくの果てには、自分の罪を認めない上に他人の罪をいいたがる。人って本当に嫌なところを持っているなぁ…。

でもこれは、他人事ではなく、自分にも当てはまるということ。他人を裁いて、自分には罪がないと思うのは間違いなのだ。
お互いに罪があるということがわかれば、多少は、人を裁きにくくなるかもねっ^^;

いずれにしても、そんな私のためにいのちを捨ててくださったイエスさまには、『ありがとう』としかいいようがないわっ。


■神さまは不公平?
□いや、公平。
★ここがポイント
イエスさまのことを伝えていたら、『神さまって不公平やんっ』て言われたりすることもたまにある。

『だって、イエスを信じないと地獄行くんでしょ?信じる人しか救わないって不公平っ』

じゃあ、本当の公平ってなに?

テレビで、殺人事件や、凶悪犯の話を聞くと、めちゃ腹立つし、裁かれてほしいって思わない? おれは思うことがある。

だとしたら、いじめで悪口を言われ続けて、自殺した人がいたらどう?

加害者は『殺害してない。悪口を言っただけだ』と言うかもしれないけど、裁かれるべきやと思わない?

なら、相手が死んだから裁かれるべきで、相手が耐えて、耐え抜いたら、加害者は悪くない?
そうじゃないと思う。

ならば、いじめに参加した人数が問題?いじめた回数が問題?
いやいずれにしても、やっぱり罪は罪だと思うねん。

人は自分の基準で考えるから、悪口は罪と思う人もおれば、そうじゃないと思う人もいる。
でも、この世界を造った神さまの基準を忘れてはいけない。平等なのだ。

神さまは罪を犯した人に対して公平に裁かれる。
ほんなら、罪のない人はいると思う?

みんな罪人なのだ。
すべての人は裁かれても仕方ない。

でも、その「罪人を愛して裁きから救うために、罪人の身代わりに自分のいのちを捨てた方」がいて、その事を【信じるだけでよい】のに…

『なぜ、わざわざ身代わりにいのち捨てるの?みんな平等に地獄行けばいいやんか』っていう人がいたらどう思う?

…おわり。

◆感じたこと
本当に、人間って自己中心だなって思う。。

先日、車を運転していたときに、信号無視している歩行者がいた。しかも、車が来ていることに明らかに気づいているのに、悠々と歩いている!!正直腹が立った。車線変更して避けながらも、思いっきりクラクションを鳴らした。信号守れ!と怒鳴りつけたかった。

…でも、よくよく考えると、自分が歩行者だったら、車が来ていないからまあいいやと、信号無視する。。。
『状況を見て、他人に迷惑かけないように渡ればよいのに…』こう思うこともある。。。

でも、この考えは、明らかに、ある事を頭に入れていない。
それは、法律。信号無視するのは違法。そしてクラクションを鳴らすのも違法。迷惑をかけようが、かけまいが、違法に変わりはない。。

信号無視が良いとか悪いとかを言いたいんじゃない。

人間は自分のものさしで善悪を判断している。
でも神さまのものさしで考えたときに、本当に自分って罪人だとしかいいようがないよな。。

その私のためにいのちを捨ててくださったイエスさまの愛は計り知れないなぁ。。

Romans 2:1-11