■そもそも律法ってなに?

□なにって言われると、実は一言で答えるのは難しいのだ。『律法』は、いろんな意味がある。
〔出エ20(十戒)、出エ25~27・レビ23・25(儀式)、マタイ5:18(旧約全体)〕

★ここがポイント
『律法』は、(1)「十戒をはじめとする、何が罪で、何が罪でないかの善悪が書かれたもの・ユダヤ人が神さまを礼拝するときの儀式のきまり・社会生活の法律のようなもの」をいうこともあれば、(2)「モーセ五書(創世記~申命記)」、(3)「旧約聖書全体」をいうこともあるし、(4)「原理・原則」という意味をいうこともある。
これは書かれている文章の前後から、どの事をいっているか考えるけど、ローマ2章での律法は、(1)やねっ。
そもそもユダヤ人は旧約時代、神さまから特別に選ばれた人たちで、ユダヤ人にだけ律法も与えられたので、ユダヤ人は律法が与えられていることを誇りとしていたのだ。



■ユダヤ人以外の、律法を知らない人は、どうしたら罪がわかるの?

□そもそも、人は、その良心によって、何が罪であるかがわかっている。(ローマ2:14・15)

★ここがポイント
例えば、イエスさまを信じている人かそうでないか関係なく、嘘をつくことが基本的に正しいとは誰も思わないし、人の物を盗むことが基本的に正しいとは誰も思わないし、親を親と思わないことが基本的に正しいとは誰も思わないと思う。
人は、神さまから生まれ持っている良心(何が正しくて、何が罪かを感じる心)』が与えられているのだ。

でも人の良心は罪を重ねるごとに麻痺してわからなくなってくる。『律法』は、『良心』を目に見える形ではっきりと書いているだけなのだ。
だから、律法が与えられているかどうか、律法を守れるか守れないかが問題じゃなくて、自分が神さまの前に正しい人間であるかどうかが問題なのだ。そしてその答えは、残念ながら、正しい人間ではないということ。
人が救われるのはただ恵みによるのだ。大事なのは律法を守るという外見ではなく、愛によって働く信仰という中身だけであるのだ(ガラテヤ5:6)。

正しくない自分。『聖』からは遠く離れている自分を、聖い者としてくれている!イエスさまありがとう!

Romans 2:12-16