■『贖い(あがない)』ってなに?

□『代価を払って買い戻す』ってこと。
『何かをしてしまった事に対して、代わりに対価を払い、元の状態に戻す』とも言えるかなっ?(ローマ3:24)

★ここがポイント
【例えば…】
『あっちゃー、やってもうたー、、』
やた君は、やまだ君の大事なゲーム機wiiの上にジュースをこぼしてしまいました。ゲーム機は壊れてしまいました。
『どないすんねん!』やまだ君はお怒りです。
やた君には、wiiを買うお金はありません。どうしよう…。

そんなところに良い役回りのさかい君が登場。もっているお金すべてを出して、代わりにwiiのお金を支払ってうめ合わせしてくれました。
やまだ君は、wiiのお金が返ってきたので問題は解決っ。

やた君はさかい君にお金を返すことができませんので、さかい君には『ありがとう』としか言いようがありません。

「贖い」の使い方:『さかい君は、やた君が払うべきお金を贖った』

私たちは罪を持っているので、罪の償いをしないといけない。
地獄で永遠に罰を受けるという償い。

それをイエスさまは、自分を十字架につけて、代わりに罰を受けてくれたのだ。

私たちには、イエスさまにお返しできるものは何ももっていない。

私たちにできることも、また、イエスさまの愛の犠牲に 『ありがとう』 としか言いようがないのだ!

『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。』(ヨハネ15:13)


■『義と認められる』ってなに?

□『無罪と宣言される』こと。(ローマ3:24)

★ここがポイント
『義と認められる』っていう言葉は、裁判所で使うことばなのだ。

【例えば…】
やたゆきお君は、何も悪いことをしていないのに、警察に捕まって、裁判になりました。でも調べたら、無罪だったので、裁判官は『被告人 やたゆきおは無罪である』と宣言しました。

つまり、『義と認める』とは、『無罪の人に無罪と言う』ことです。


あれ?おかしくない??

人間は、有罪確定なのんよ!?証拠もそろっている!

そう、私たちが持つ罪をイエスさまが代わりに罰をうけて死に、よみがえられたことにより、すべてを贖ってくれたからこそ、私たちは、有罪確定にもかかわらず義と認められることができる!

クリスチャンの力のもとは、このイエスさまの愛なのだ!!

『ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』(ローマ3:24)


◆感じたこと
ローマ人への手紙では、本当にとことん、人間は罪人だと宣言してくる。
『そんなに罪、罪って言わなくても…』
なんて声も払いのけてしまう。

それは、計り知れない罪人である私たちを、いかに愛しているのかということを伝えるため。

罪汚れた心を持つ、本当に裁かれて当然の、私たち一人ひとりのために、
イエスさまの愛の証としての犠牲が払われた。

私たちの努力はこれっぽっちも、神さまの前に義と認めてもらうのに役に立たない。

そんな、みじめな私たちを愛し、救いへと導いてくださった。

だからこそ、その愛を知れば知るほどに、神さまの愛のうちに歩みたいというクリスチャンの原動力が生まれる。

本当にそうだなぁと感じました。

Romans 3:9-24