【ローマ 3:27-31】無効ではなく確立する?!
■自分自身で誇りにできるものはない?
□どこにもない。(ローマ3:27)
★ここがポイント
『誇り』って言葉を辞書で調べると、『優れていると思って得意になる。』ってある。
つまり、ユダヤ人であっても、神さまの前に優れている部分は何もないってことなのだ。
新約聖書の中には、『それでは○○でしょうか。』と書かれた文は20個くらいあるけど、そのうちの6個がローマ人への手紙にある。『それとも○○でしょうか。』も同じくらいたくさん書かれている。
『それでは○○でしょうか。』とか、『それとも○○でしょうか。』という言葉は、相手が、おそらくこう意見を言ってくるだろうと予想して、先に答えを言っているのだ。
聖書は、無意味な意見の出し合いをするべきではないと言っている(1コリント 1:20、1テモテ 1:6、テトス 3:9)けど、御言葉に関してはそうではない。すごく強い言い方で、否定的にいうこともある。
それだけ、神さまにあって歩む生活の上で、すごく大切なことだから、ということなのだ。
■律法を無効にしない?確立するって…? (ローマ3:31)
□『無かったことにした』のではなく、『全てしてくださった』ということ。
★ここがポイント
この意味は、『律法をなかった事にした』のではなく、『律法でしないといけないことをすべてイエスさまによって実現した』ということなのだ。だからこそ、このイエスさまのしてくれたことを信じるだけで救われるのだ。(ヘブル9:7-22)
『それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。(ヘブル 9:22)』
*つまりは、ここでは、『律法を確立することになる』=『律法を守れるようになる』という意味で言っているのでもないということも覚えておきたいなぁ。前後の文章を見ても、『聖化』については言っていないのだ。(聖化については別の機会に…)
『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタイ 5:17,18)』
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私たちクリスチャンが誇りにできるものが、実はある!
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■それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。(ローマ 15:17)
■まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。(コリント 1:31)
■私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。(2コリント 1:12)
■私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。(2コリント 7:4)
つまり、誇るとしたら『主にあって誇る』ということ。『イエスさまにあって生きる兄弟姉妹』を、互いに自分よりもすぐれた者として誇りに思うということにも通じるのだ。(ピリピ 2:3)
◆感じたこと
他の兄弟姉妹を見ていると、励まされるときがある。
福音を伝えるためにチラシを配ったり、夜遅くまで子どもたちのイベントのために準備したり、病や苦境の中にある兄弟のために祈ったり…。
そういう兄弟姉妹の姿を見たときに、
『あ…おれもチラシ配ろうかな。』
『あ…おれももっとできることあるよな。』
『あ…おれもその人のために祈れるよな。』
なんて思うこともしばしば。
もちろん、目に見えることだけでは言い尽くせないのだけど、他の兄弟姉妹の姿を見たときに、すごく心をかきたてられるものを感じる。
最近、とあることから、主にある兄弟が、末期がんであることがわかった。
年齢は高齢ではなく、子どもも5人いる。下はまだ赤ちゃん。
その中で、兄弟がした証は、『自分は本当にクリスチャンでよかった』ということ。
『今は、もうすぐ家族と別れの時が来るという、辛さ、悲しみがあるけれども、将来、また天国で会うことができる。希望がある。』
『兄弟姉妹が祈ってくださっているという励ましがある。』
イエスさまを信じて救われているということは、本当に幸せなことで、どのような苦境にあっても、神さまに用いられるという本当にすばらしいもの。
『今、再臨が来たらみんなで天国行けるのになっ』と笑いながら言える兄弟。
文章では書き表せないけど、その証をされた兄弟を本当に誇りに思いました。
□どこにもない。(ローマ3:27)
★ここがポイント
『誇り』って言葉を辞書で調べると、『優れていると思って得意になる。』ってある。
つまり、ユダヤ人であっても、神さまの前に優れている部分は何もないってことなのだ。
新約聖書の中には、『それでは○○でしょうか。』と書かれた文は20個くらいあるけど、そのうちの6個がローマ人への手紙にある。『それとも○○でしょうか。』も同じくらいたくさん書かれている。
『それでは○○でしょうか。』とか、『それとも○○でしょうか。』という言葉は、相手が、おそらくこう意見を言ってくるだろうと予想して、先に答えを言っているのだ。
聖書は、無意味な意見の出し合いをするべきではないと言っている(1コリント 1:20、1テモテ 1:6、テトス 3:9)けど、御言葉に関してはそうではない。すごく強い言い方で、否定的にいうこともある。
それだけ、神さまにあって歩む生活の上で、すごく大切なことだから、ということなのだ。
■律法を無効にしない?確立するって…? (ローマ3:31)
□『無かったことにした』のではなく、『全てしてくださった』ということ。
★ここがポイント
この意味は、『律法をなかった事にした』のではなく、『律法でしないといけないことをすべてイエスさまによって実現した』ということなのだ。だからこそ、このイエスさまのしてくれたことを信じるだけで救われるのだ。(ヘブル9:7-22)
『それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。(ヘブル 9:22)』
*つまりは、ここでは、『律法を確立することになる』=『律法を守れるようになる』という意味で言っているのでもないということも覚えておきたいなぁ。前後の文章を見ても、『聖化』については言っていないのだ。(聖化については別の機会に…)
『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタイ 5:17,18)』
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私たちクリスチャンが誇りにできるものが、実はある!
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■それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。(ローマ 15:17)
■まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。(コリント 1:31)
■私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。(2コリント 1:12)
■私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。(2コリント 7:4)
つまり、誇るとしたら『主にあって誇る』ということ。『イエスさまにあって生きる兄弟姉妹』を、互いに自分よりもすぐれた者として誇りに思うということにも通じるのだ。(ピリピ 2:3)
◆感じたこと
他の兄弟姉妹を見ていると、励まされるときがある。
福音を伝えるためにチラシを配ったり、夜遅くまで子どもたちのイベントのために準備したり、病や苦境の中にある兄弟のために祈ったり…。
そういう兄弟姉妹の姿を見たときに、
『あ…おれもチラシ配ろうかな。』
『あ…おれももっとできることあるよな。』
『あ…おれもその人のために祈れるよな。』
なんて思うこともしばしば。
もちろん、目に見えることだけでは言い尽くせないのだけど、他の兄弟姉妹の姿を見たときに、すごく心をかきたてられるものを感じる。
最近、とあることから、主にある兄弟が、末期がんであることがわかった。
年齢は高齢ではなく、子どもも5人いる。下はまだ赤ちゃん。
その中で、兄弟がした証は、『自分は本当にクリスチャンでよかった』ということ。
『今は、もうすぐ家族と別れの時が来るという、辛さ、悲しみがあるけれども、将来、また天国で会うことができる。希望がある。』
『兄弟姉妹が祈ってくださっているという励ましがある。』
イエスさまを信じて救われているということは、本当に幸せなことで、どのような苦境にあっても、神さまに用いられるという本当にすばらしいもの。
『今、再臨が来たらみんなで天国行けるのになっ』と笑いながら言える兄弟。
文章では書き表せないけど、その証をされた兄弟を本当に誇りに思いました。