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■アブラハムも信仰によって義と認められた?
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□そう。アブラハムが義と認められたのは律法でも割礼でもなかったのだ。(ローマ4:10)
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★ここがポイント
アブラハムは85歳の時、自分に子どもがいないことを、神さまに訴えた。神さまの答えとして、アブラハムに『星の数ほどにまで子孫が増える』と約束したのだった。

アブラハムは、その約束を信じたのだった。実は、この単純に、この『信じた』ことが、神さまの前に義と認められた。(創世記15:6)

割礼があったのは、この『義と認められた』出来事の、実に14年も後のこと。(17:10)

律法はさらにもっとあとのモーセの時代なのだ。

イエスさまを信じていない人が、私たちクリスチャンに対して疑問に思う一つとして、『信じるだけで救われる』ということがある。

本当に単純に、『イエスさまが自分の罪のために死んでよみがえった』と信じるだけで、罪の裁きである地獄から救われて天国にいけるのが、何か、おかしいように感じる人もいるのだ。

ユダヤ人もそうだった。『割礼がなければ』、『律法を守らなければ』があったのだ。

実は、クリスチャンだって、何か『行い』がなければダメクリスチャンかのように思ってしまうことがあるのだ。( *ヤコブの手紙に関しては別の機会に…)

『行い』はあくまでも『結果』であって、大切なのは、みことばの約束を信頼すること。

私たちは、堂々とするべきなのだ。『単純に、信じるだけで天国に行けるねんでっ!』て。



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■『死んだも同然』とか『胎が死んでいる』ってなに?(ローマ4:19)
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□普通、二人の間に子どもが生まれることは100%ありえない状態。
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★ここがポイント
アブラハム99歳とサラ89歳にとって、子どもを生むことに関しては『死んでいる』といえるけど、その死んだ からだ をも生かす力があるとアブラハムは信じた。そしてイサクが生まれた。

アブラハムが息子のイサクをささげることを決めたときも、神さまなら、イサクが死んでも生かすことができる方だと信じていた。(ヘブル11:18・19)

…イエスさまを信じるということも、同じことがいえる。

世の中には、自分のことをクリスチャンだと思っている人で、イエスさまが十字架に架かって罪のために死んだのは信じても、イエスさまが死んだ後3日目に復活したことを信じない人もいる。

でも、イエスさまは本当に復活したのだ。神さまに不可能はない !

アブラハムを見ると、実に、神さまなら死んだものも生かすことができる、神さまの約束されたことは必ずその通りになるという信仰の、基本的な形がわかるのだ。

『また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ4:24・25)』



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◆報酬と恵みの違いってなに?(ローマ4:4)
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報酬…何かしたことによって受け取ることができるもの
(例:仕事をして手に入れたお金)

恵み…何かしたとかしないとかに関係なく受け取ることができるもの
(例:何もしていないのにもらえるプレゼント)


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◆割礼ってなに?(ローマ2:25、4:9)
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割礼とは、男の人の身体の一部分の肉片を切り落とすこと。

これは神さまがアブラハムをはじめ、ユダヤ人に与えた、『神さまを信じたときに義と認める、祝福する、』という約束のしるしだった。


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◆証印ってなに?(ローマ4:11)
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証印とは、証明をするときに使う印のこと。
何かが本物であることを認めるときに使う。
誰に所有権があるか、どこに属するかを表すのにも用いられる。

神さまは、旧約時代のユダヤ人には割礼によって、新約時代のクリスチャンには聖霊によって、神さまが人に対する約束の証明をしている。


◆感じたこと
イエスさまを救い主と信じる前。

『キリストが死んだ後、3日目によみがえったっていう変な事を言わなければ、信じやすいのに…』

そう思ったことがある。

でも、復活を信じないということは、神さまの力を信じていないということ。

復活を信じないのに、イエスさまを救い主と信じるなんて、いま考えればありえないことだよなって思う。

もしも、イエスさまが救い主で、神であるということを認めるなら、死んでも生きることができる方だと認めるのはたやすいはずなのだ。


…信じるって、誰にでもできるめちゃくちゃ簡単な方法だけど、実行に移すのは難しい。。
僕にとっては本当に難しかったなぁ。。人間はプライドがあるんだもん。。
だから、イエスさまを受け入れられない人の気持ちもすごくわかるんだよね…。

どうぞ、頑なになっている方の心を、神さまが開いてください!

Romans 4:1-25